走れ。汝のマントラと供に!

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趣味でありながら日課であるランニングを半月ばかし怠っていた。それと一緒になって生活も少しダラしなくなり、こりゃいかんなあと日々感じていた。ただそうゆう落ちる時ってなかなかどうしようもないので、まあまた走り出すだろうと半分くらいは気楽にみていた。

思ってるより早く、また走り出した。いままでせっかく習慣にしたのにという気持ちと、純粋な走る楽しさをまた体が欲し始めた。これが半年くらい経ってしまうとどうなるのかは、ちょっと定かじゃない。

 

普段僕は5km、8km、10kmのコースを気分で使い分けて走っている。ひさびさに走るんだけど、今日は思い切って8kmのコースを選択した。なんとなく多少きつい思いをしたい気分だった。

案の定呼吸が苦しくなるのは早かった。けど息が切れたりはしない。息を切らしながらゼエゼエと走るのは僕の中ではランニングではない。そんな中苦しさを紛らわすための自己防衛なのかなんなのか、呼吸のリズムに合わせていろんなフレーズを、自然とこころの中で繰り返していた。僕の呼吸は短く二回吸って二回吐く。「ひっひ、ふっふ」だ。いつも出産してるみたいだなあと思うんですが、中学生くらいからこの呼吸法が染みついている。

はじめに僕はこんなことを呟いてる自分を発見した、「タングステン、ふっふ。タングステン、ふっふ」。次にはよくわからない存在しない単語を呟いていたけど、忘れてしまった。そして気がついたらそれは、「ひゃくきゅうじゅうっ、ふっふ」となり、最後には「きっび、だーん。おにおに、たーいじ」になっていた。

なんでそんなものをぐるぐると気づかぬ間に呟いてるのか不思議だけど、考えると余計苦しいのでそのまま走っていた。決っして水曜日のカンパネラのファンでもないのに。

 

しかしキツイのは当然だった。なぜなら今日のタイムは過去最高記録だったから。「まだ走る感覚はちゃんと残ってるんだ」と少し安心した。久しぶりだからこそ普段のペースを忘れて、思い切って走っていたんだろうなあ。と思うとちょっと面白い。決してマントラのおかげではないと思う。

 

だいぶ前にも書いたけど、村上春樹の「走ることについて語るとき、僕の語ること」に出てくる雑誌の市民ランナーは「pain is inevitable.suffering is optional.」痛みは避けがたいが、苦しみはこちら次第。というマントラを意識的に唱え、叱咤激励しているらしい。

ぼくのもそんな風にカッコいいものだったら良かったけど、なぜだか溶接棒に190、そして好きでもない歌手の歌のフレーズだった。まあいいんだけど、俺らしい気もするし。。